会社人間だった私が、農業の世界へ。

私は50年ほど会社人間をしてきました。会社を辞めると、さて何をしたら良いのか?

忙しい毎日を送ってきたのであまり考えていませんでした。

自分のやってきたことで何か社会貢献が出来たら…何ができるだろうか?

とりあえず40年も投げっぱなしになっていた荒れ地で野菜を作ることから始めました。

ところが云うはやすしで…近隣に迷惑をかけていた背丈もある男雑草と毎日戦いが始まりました。

そして段々畑に集中し、のめり込んでしまいました。

雑草を刈り、前の通学路を楽しんでもらおうと桜、梅をはじめ草花を植え、毎日の戦いが遣り甲斐のある日課になってきました。

14a(ふなつファーム)の荒れ地が2年も経つといつの間にか、1年中花の咲いている有機肥料で無農薬の畑になってきました。

2014年に出雲市が主催しているブドウチャレンジ講座を1年間受けました。私はワインが好みで、もう2700本ぐらい飲んでいます。記録をつけてからでも600本ぐらい飲んでいます。

ブドウ栽培がやりたいと思っていましたので、シャインマスカットの講座を受けることにしたのです。島根県技術センターの講師はワイン用のブドウは分からないと云っていましたが…。

2015年になって格好のハウスを借り受けて挑戦を始めました。地域社会で共生すべくNPO法人の障害者の皆さんと、以前に作られていたスモモとシャインマスカットの伐根、ワイン用ブドウ「ヴィジュノアール」の定植を始めました。

約4か月一緒に働いていると障害者のみんなと親しくなっていました。3~4人がそれぞれ続けて働きたいと云って来ました。彼らは親も亡くなり、兄弟も年を取って,甥とか姪に頼らなければならなくなっていたのです。「元気なうちは働きたい!」1年中働く環境を作る必要があります。農業を経営して彼らの仕事を作る。私も覚悟を決めなければなりませんでした。

雨の日も晴れの日も働く環境を作ることは簡単ではありません。それに買っていただく農産物は素人集団にとって難しい作業です。資金もありません。「まあ!やってみなはれ!」経営の神様の誰かの言葉が聞こえてきました。

ブドウができるまで3年はかかるので、それまで他の野菜を作っていかなければならない。孫が食べても安全な食物、有機野菜に挑戦することにしました。島根県のエコファーマーの資格を取って野菜を作り、虫に食べられ病気になるのを経験して、有機野菜をもっと勉強しようと島根県立農林大学校の有機野菜講座を30代の主婦と2人で受けました。70代になって水稲の雑草取りの除草作業は大変でした。腰までの長靴履いて田んぼに泥濘ながら、やっと一往復したら、若い先生がもうやめときましょうと声をかけてくれた程です。

全く農薬・化学肥料は使っていません。虫が食べた葉はなるべく除きます。化学肥料を使わない野菜は小さく、曲がっていて成長が遅くなります。その代わり糖度が若干上がるのか甘く感じ、柔らかい野菜ができます。野菜は地元のスーパーの地産コーナーに出品させてもらい、ニンニクは安い1次産品だけでなく加工して熟成黒ニンニクとして売り出しました。熟成に3週間かかりますが、品質は良いものができます。

今年から農薬、化学肥料無使用のニンニクを無添加で熟成した黒ニンニクは島根県のエコロジー農産加工品の認定を受け、甘く、まるでお菓子のようなプラムの味の「出雲のジャンボ黒ニンニク」他は松江市の島根物産館、東京のにほんばし島根館、出雲市の自然食品の店「ととろ」で販売しています。2020年より「シャインマスカット」、「出雲の黒ニンニク」などの通信販売を立ち上げました。

2018年現在では畑を借り農薬・化学肥料無使用の野菜から、慣行農業のワイン用ブドウ栽培まで始めてしまいました。今ではふなつファーム農薬・化学肥料無使用(ニンニク)14a、慣行農業の大社菱根西ファーム(ワイン用ブドウ)22a、大社菱根東(シャインマスカット)22a、大社菱根北(シャインマスカット)20a、大社北荒木ファーム(ワイン用ブドウ)22a、農薬・化学肥料無使用の大社修理免(エコロジー農産物野菜)9aの全部で109aの畑になりました。

2020年からは老年の障碍者の皆さんから若者たちが増えてまいりました。今年はコロナ騒ぎで東京など都会からボランティアで農業をやりたい人たちが手伝ってくれたり、世の中が変わってきたと感じています。

これからブログで悪戦苦闘を語っていきます。まあ聞いてください!

妻は「穏やかな終末を楽しみたいと言っていたのに」と非難するのですが…。

2020年6月11日

代表・内藤博之自画像